何かを犠牲に俳優おたく

2〜3次元を彷徨う永遠のにわか

捻じ曲げられる物語(キャス変と脚本について)

 

メサイアシリーズの盛大なネタバレを含みます

 

メサイア月詠見てきました〜 今期はジョカトラが本命なのでジョカトラが始まる前に。

 

暁乃刻を最高と思っているオタクなので、それ以降のシナリオは「うんうんメサいね〜」って感じに受け止めてるんですが(推しがもうシナリオにも居ない、のもあり)今回の月詠はちょっとモヤっとする所が多くて。

 

もちろん!役者さんの演技は今回も身を削ってるなあ…って感じでした。杉江くん演じる加々美の声から無邪気さが作品を重ねて行くごとに消えていくので「これが…サクラか…」となっています。

 

 

メサイアは、キャスト変更をしないシリーズですよね。

 

 

キャス変をしないことによって、キャストの都合がつかないキャラクターは、どうしてもストーリーから排除される。

暁の推し(悠里)のように、月詠の有賀のように。

 

暁至上オタクですけど、生で見たとき、DVDを見返したとき、何度だって思いました。

「推し(役者)が出演できていたら、もっと、もっと推し(キャラクター)の話がみれたのに。」

…「キャス変があったら、推し(役者)はみられなくても、悠里の物語は見れたのに。」とか。

チェーカーの交渉を断って、白崎を助けるために奔走して、きっと覚悟を決めた顔で脳を摘出する決断をするシーンとか。電子の海でネクロマンサーと戦って主導権を手に入れて、白崎にプログラムの中から声を届けるシーンとか。ラストの悠里(仮)が白崎と共に立つシーンでも、推しが出演することで、もしくはキャスト変更があることで、きっと違う表現ができて、違う物語が出来ていた。

 

今回の月詠にのめり込めなかった理由は、有賀が出演できてないからしょうがないんですけど、(すぐ捕まるし)有賀が何がしたいのか・どんな心情なのか。想像力が足りないのかもしれませんが、私には読めなくて。(それ以上に小太郎と万夜がお互いを信仰していた根拠がびみょ〜〜に伝わらなかったことも大きいんですけど。小太郎の「居場所」にまつわる家庭事情とか説明不足感が…)あんまり心に来なかったんですよね。名付けの話と、ミコトノリパワーが効かない、太陽と月の泥沼三角関係は「も〜〜高殿先生なんでこんなこと考えちゃうの〜〜(好き)」って感じでしたけど(笑)

 

 

何が悪いとか、推しや井澤くんや、キャスト変更があって誰かが出演できたら生まれたかもしれない物語が正しい物語だとか、そう言うつもりはありません。実際に作られたものが全てで、ifは個人が妄想するしかありません。キャストを責めるつもりも、キャスティングを責めるつもりも無いです。(逆に一人欠けた程度で揃えることができていることのほうが凄いなって思います。)メサイアなんて特に、キャラクターと役者本人がギリギリまで重なることで生まれている演技があると思うので。

 

 

結論がないまとまらない記事なんですけど、最近そんなことを考えながら観劇しています。モヤる。